Mr. Ken Sato
Tokyo. 15 October 1999
 
   ストックホルムはもう冬の衣装をととのえはじめているのではないだろうか
   Faxに続いて、今日、そちらの新聞の切抜きと近作の砂の作品のカラー写真をどっ
さり受取りました。サラ・アレハンダ、ベストマンズ・レーンス・ティドニング、
イースタズ・アレハンダ、クリスチャンスタズブラテッド、片仮名で書くと、どれ
もこれも舌をかみそうな長い名前の新聞ですが、北国の香りがします。カラー印刷
が実にきれいなのに驚きました。澄みきった冷たい空気のなかでは、新聞のインク
の色さえ冴えるのでしょう。ぼくはスウェーデン語がわかりませんが、貴兄の絵の
ことを書いた記事と掲載された何点もの作品の写真から、おおよそのことは想像で
きます。
 大きく載った貴兄の写真は、なかなかいいじゃないですか。東洋の哲人、あるい
は文人墨家のような神秘的な雰囲気がただよっています。顔にカリグラフィックな
作品にふさわしい品格がそなわってきました。東洋の表現は、それが書であれ、絵
であれ、人と作品が、つまり人格と表現が一致しなければ本ものとはいえません。
それはある年輪と、精神の集中力と、身体と心の抑制のきいた動きから生まれるの
です。もっとも東洋の美意識では、書と絵の実体は同じなのです。
 カラー写真で見る限り、前回の東京展のときの静的な砂の作品に比べて、より自
由な動き、しかも軽やかな動き、がでてきて、節度があり、静けさが深化し、しか
も力がこもって、全面砂で覆われた空白部分とカリグラフィック部分が調和を保っ
て、砂という無機的物質に命が宿り、底から光を発しています。
 本来、手に掬えばすべり落ち、崩れるはかなさと、あらゆるものを呑みこんでし
まう破壊力をもった砂が、貴兄の手にかかると重力を失い、生命体の弾性とねばり
をもって、砂にうもれた空間のなかで軽々と踊りだすから不思議です。そして、画
面には何と形容したらいいか、中国の古画に感じるような不思議な雲気が縹眇とし
ている。雲気とは空間にあらわれる雲のような気、というほどの意味です。
 これは、日本人である貴兄が、スウェーデンというという土地に長く暮し、帰化
して、はじめて発見した「東洋」です。そういう意味でOriginalityそのものです。
古くから東洋でいわれている言葉ですが、「気韻生動」という言葉を貴兄の絵に捧げ
たいと思います。
 いま、日本の現代絵画から、漢字文化圏の感覚は消えうせてしまいました。です
から、現代において、伝統に帰回するこういう地平に貴兄が到達したことは、とて
も貴重なのです
 前回の展示会のときには、作品に額をつけずに、貴兄の手作りの木枠がつけてあ
りました。その素朴な味わいがなかなかいいと思います。絵とよくあっていました。
今回の同様にしてください。そして、大作は運送費が嵩みますから、12号、10号、
8号ぐらいの大きさの作品を20数点ならべたいと思います。もちろん、画廊の空間
を考えての話しです。なにしろ運送業者に頼むと運賃がすごいことになるし、成田
に着いてから、ここまで運ぶのに目が飛びでるほど運送代がかかります。それに税
関で、価格の5%の消費税を支払わなければなりません。名案があるといいのです
が、貧乏な小っぽけな画廊には、これは骨身にこたえるのです。
 それにしても、貴兄の絵を早く見たい。今年の3月パリに行った時、ストックホ
ルムに寄ろうかと思っていたのですが、思いもかけず、貴兄とパリで会うことがで
きて、うれしかった。お互いにすれ違いみたいに短い間だったけど、その時、貴兄
は、パリでロスコ展とタル・コワット展を見て、感動をあとで手紙でぼくに伝えて
くれました。Rothkoは今さらいう間でもありませんが、Tal Coatは、貴兄にとって発
見だったのではないでしょうか。Tal Coatはぼくの好きな画家です。二、三本の震え
るような線と、ごくわずかな色面で、どうしてあれだけ自然が、白い紙の光のなか
に掬いとられるのか、あらためて驚きました。パリには刺激がうようよしています。
食うものもうまい。この画家は日本では、ごくひとにぎりの人にしか知られていま
せん。若者たちは名前さえ知りません。
 長い手紙の最後になりましたが、奥様によろしくお伝えください。ご自愛専一に。

 

Y.M.