ケン・サトー(佐藤 憲)

くすんだ軽みと透明な重み

 
ケン・サトーは、アメリカとヨーロッパを旅したあとで、60年代の半ばにスウェ
ーデンにやって来た。その「教養のカバン」の中に、書(カリグラフィー)?
それは彼の父が早くも6才の頃に彼に教えたものだった?を携えてやって来た。

それは、きっと、彼の身近にありすぎたのだろう。スウェーデンに来て、彼はすぐ
にこの芸術の制作に入ったわけではなかった。ケン・サトーは、かわりに、民話調
の、魔的なリアリズムをスタイルとする、物語り的な絵画を描くことになった。

彼は、再び、カリグラフィーに戻ったのだが、それは自由で、ドグマ的でない作風
だった。作品の中軸神経は、紛うことない純正?
それは、息吹きの軌跡、生気の表現、つむじ風が重力の裏をかくような、軽みだった。

端的にいえば、それは、よく熟練したルーティンのもとで、仕事の自己表出が、高
まった自覚のうちに起こるときのもの、力のみなぎっている無重力の状態で起こる
ものとして、舞踏=ダンスとなっていくのだ。

墨の、カリグラフィー「墨のダンス」が、彼の陰陽の美学のなか、空を浮遊する鶴
を想わせるならば、油絵は、対の、もっとマチエールを意識した地点にある。それ
は伝承的には、地を這う亀によって象徴されるものだ。

80年代の初めに、ケン・サトーはそれまでの、具象的な油絵を棄てて、より非具象
のスタイルに移っていった。塗るプロセス自体への彼の興味が強く特徴づけられて
いるものに‥‥。

これらの作品を、ケン・サトーは極めて独自なミックス・テクニックで、ゆっくり
と時間をかけて製作している。油絵具に、テンペラ絵具や砂が加えられてくる。彼
は、サンドペーパーなど、様々な方法で画面をつくっていく仕事を執拗につづけて
いる。その結果は、見る人にして、画面を手で撫でてマチエールを感じたい気持ち
にさせる。
   私は、ある展覧会で、彼の精気が吹きこまれたような石を見たことがある。

そして、展示されている油絵作品は、その表面作業によって、厳しい秩序と禅仏教
の瞑想と悟りを表わしている日本の石庭の伝統を担うような、その石への近親性を
よく喚起しているのだ。

だが、ケン・サトーは、どんなドグマにも仕えるようなことはしなかった。逆に彼
は、ヨーロッパの所謂アンフォルメルの伝統の近くで、自由に生きている。彼はア
トリエに、スウェーデン各地方から採集した色々の砂のサンプルを、無数のガラス
瓶にいれて保存しているのだが、それは、金色に輝く褐色から白っぽいベージュ色
まで、素晴らしいニュアンスの、自然独自のパレットだ。

最近のケン・サトーの絵は独特だった70年代の魔的なリアリズムほど明確ではな
いが、形象性を強めた内容を志向してきている。

そして現在の彼は、しばしば、ヴァイオレットが支配的な、透明なカラーニュアン
スを持つ作品を作っている。今までの、石のような凝った画面といえば、彼のキャ
ンバスをくすんだものにしていたが、今やそこに、しっとりと露に濡れた、おぼろ
な風景のミニアチュール(多分、クローズアップなのだろう)が顕われてきた。

それは、内からの光で浮かびあがってきている。以前に石が密かに潜んでいた処に
、ケン・サトーは今、光源を置いたのだ。ヴェールで覆うと同時に透視するように
。これらの絵で、「墨のダンス」の鶴は、ほのかに陽の差す晴い水に囲われるよう
に泳いでいる亀、という朋輩を得たのである。
 

スォーレン・エングブロム

 

ストックホルム現代美術館学芸員